予備校とは?

 大学や高校で学生に話をするたびに、学生たちの反応が乏しいことを感じていた。  先日、福岡県太宰府市の福岡国際大学で開いた「就職セミナー」で、「新聞で得る情報、知識が社会人に欠かせないコミュニケーション力を培う」と約1時間半にわたって話をした。数日後、セミナーに参加してくれた学生からの感想が届いた。  「これまで新聞はたまに読む程度だったが、これからはニュースを通じて世界の動きを見て行きたいと思った」  「情報を入手しても自分の言葉として発信する自信がなかった。発信というFX の大切さがよくわかった」  「コミュニケーション能力を高めるために活字が大いに役立つことがよく理解できた」  どれも、よく講演の内容をとらえ、自分なりに消化して、意見を書いている。  ふと、思った。  若者たちのコミュニケーション能力の低下が指摘されている。もちろん、その批判は否定はできないだろう。しかし、そういう見方だけは一面的ではあるまいか。多くの若者は、それなりにものを考え、発言しようとしているのではないか。  ただ、発言をする「元気」が足りないのではないか。「空元気」でもいい。半歩だけ踏み出して、コミュニケートする「元気」を持ってほしいのだが。

 「お金もうけは悪いことですか」。証券取引のルールを犯した疑いで逮捕された村上世彰容疑者は、そう言い放った。  「悪いとは思わないが、使い方の方が大事じゃないかな」と独り言を言いながら、「福翁自伝」を思いだした。いうまでもなく、福沢諭吉が自らの人生を語ったものだが、幼少期のこんな記述がある。  あるとき、兄が私に「お前はこれから先、何になるつもりだ」に聞いた。私は「左様さ、まずは日本一の外為 になって思うさま金を使ってみようと思います」と答えた。兄は苦い顔でしかった。  子どもらしいあけすけな表現はともかくとして、「お金」に対する〈本音〉だったのではないか。  福沢諭吉は1835年(天保5年)、豊前中津藩(現在の大分県)の藩士の家に生まれ、早くに父親が死去したために「貧乏をなめつくした」というほど貧しかった。長崎に遊学した後、緒方洪庵の門下生となって頭角を現し、慶応大学を創設、思想家としても大きな影響を与えた。  「借金くらい怖いものはない」というほどで、金銭については堅実で、しかも潔癖だった。慶応義塾を創設したとき、自分の才覚のみですべてを準備して開塾した。もちろん借金などしなかった。一方で、毎月決まった授業料を納めさせるというやり方を取り入れた。それまでの塾は生徒が盆暮れに先生にお礼をするのが習わしだったから、大いに批判もあったろうが、恥じるところはなかった。「お金は意味のあることに使うためにある」という確固たる信念があったからだろう。  福沢諭吉は、「日本一の大金持ち」にはなれなかったが、「お金の使い方」では、たぶん誰にも負けなかった……。

 中央教育審議会の外国語専門部会が、「小学5年生から英語を必修にすべきだ」と報告をまとめたが、小学生に英語を強制することには疑問を感じる。母国語を身につける大切な時期に、なぜ外国語教育に時間を割くのかが理解できない。  小学校でまず教えるべきことは、読み・書き・計算と早寝早起きの習慣、きちんとしたあいさつなどではないだろうか。「英語で子どもに苦労させたくない」「早く始めた方が上達する」という親の気持ちは分かるが、小学生にとって大事なのは何か、と考えると、しっかりした母国語と基本的な生活習慣を身につけることに行き着くはず。  〈国家の品格〉〈祖国とは国語〉などを書いた数学者の藤原正彦・お茶の水女子大教授は、もともと英語が大得意だった。それが今や、「公立小学校で英語など教え始めたら、日本から国際人がなくなります」と言い切っている。英語は話す手段。国際人になるためには、国語を徹底的に固めなければだめ――という明快な論理だ。  以前、「英語の前に日本語力を」という記事を書いたとき、賛否の外国為替 をいただいたが、賛成の方がいずれも英語塾の指導者だったことが印象に残っている。  「日本語で考える力のない子に、英語をきちんと教えるのは無理です」「発音はうまくなるが、日本の言葉、伝統文化を知らず、外国に行って中身のないぺらぺら英語を話しても軽蔑(けいべつ)されるだけ」  長年携わった方たちの声に素直に耳を傾けると、答えはおのずと出てくるのではないか。日本語でしっかり物事を考えることができ、きちんと説明できる力をつけてやること――つまり小学校の国語の教材を充実させ、授業時間をもっと増やすことこそ必要だ。英語必修化の路線はまだ敷かれたわけではない。保護者の皆さんは、浮足立たないで欲しい。

陰山英男さんをご存じですか? 現在48歳。4月に京都の立命館大教授と立命館小副校長に就任したばかりです。それまでは、広島県尾道市の市立土堂小学校で3年間校長。その前は兵庫県朝来町(現在朝来市)の小学校で14年間、教師をしていた方です。  小学校の先生が45歳で校長、さらに大学教授になるなんて驚きですが、それは陰山さんが実践してきた学習方法が高く評価されたからです。「陰山メソッド」と呼ばれますが、欧米の教育理論を輸入したものではありません。学校現場で教師たちが手を携えて取り組む中で見つけ、考え出したものです。子どもたちのすばらしい変化がその効果を証明し、「教育再生」の道筋を見い出した――とも言えそうです。  日本の子どもの問題は、「学力の低下」と「体力=生きる力の低下」の二つに絞ることができますが、陰山さんが決め手としたのは、「読み書き計算の徹底反復練習」と「早寝早起き朝ごはん」の実行でした。  最初のチャレンジは「百ます計算」。1から10までの数字を縦横のマス目にし、足し算や引き算で100個のマス目を埋める計算をタイムを競ってくり返す――これだけで、子どもたちの計算力はぐんぐん上がり、自信につながりました。苦手の国語も音読、暗唱、漢字の読み書きなどの反復学習でどんどん向上し、学習意欲は目に見えて高まったのです。  「生きる力」の壁は、家庭での生活習慣の乱れでした。8割が農家の子なのに、朝は半分以上がパン食で、1割は食べてこない。生活がどんどん夜型になり、寝不足の子もいる――こんなことがわかり、「夜10時就寝。テレビは1時間。朝6時起床。朝ごはんはしっかり食べる」ことを保護者に呼びかけたのです。その効果はすぐに現れました。  いわば当たり前のことを本気でやったのが、陰山さんとその同僚です。文科省も今年から「早寝早起き朝ごはん」の旗振りを始めましたが、「読み書き計算」の学習にも取り組んでもらいたいものです。

「食育」への関心が急速に高まっています。昨年7月に「食育基本法」が施行されたのが大きなきっかけですが、全国各地でセミナーやイベントが盛んに開催されています。食育というと健康づくりという面が強調されがちですが、食文化の歴史や健やかな心の形成まで踏み込んだ取り組みが必要ではないでしょうか。  食育という言葉は、新しい用語のようですが、実はそうではありません。わが国で初めて食育を提唱したのは福井県出身の医師で、陸軍薬剤監も務めた石塚左玄氏といわれています。石塚氏は、食を基本とした予防と健康「食養」の普及に力を尽くしました。1898年(明治31年)に著した「通俗食物養生法」の中でこう書いています。  「学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべきだ」  そして、食ついての正しい学びと実践が教育の原点であると主張し、日本の伝統的な食習慣の大切さを説いています。  食育基本法の前文と比べてみて驚きました。その前文は、子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ生きる力を身につけるためには何よりも「食」が大切であるとし、食育を知育、徳育、体育の基礎になるべきものと位置づけているのです。  つまり、食育の理念は100年余り前に主張されたことと出発点は大差ないのです。根本の考えは同じなのです。  日本人の生活様式の変化は明治期の欧化政策から始まりました。さらに、戦後の高度経済成長によってそれに拍車がかかりました。近代工業社会の進展そのものが国民生活の画一化、都市部への労働力の移動と過疎化を促したのです。つまり、この100年の間、日本が近代工業国家として変ぼうしてきた歩みそのものが、食生活の変化を招いたのです。だからこそ食育の問題は近代史を振り返り、これからの日本の姿を考えることなのです。

 食育の大切さは100年以上も前から福井県出身の医師石塚左玄氏ら先駆者によって強調されてきました。今それが改めて国民的な課題になっているのは、現在の食生活がそれほど危機的な状況になっているという面があるからでしょう。  食育の課題は(1)肥満、生活習慣病などの予防(2)添加物や残留農薬など食品の安全性の確保(3)国の安全にもかかわる食料自給率や地産地消(4)健康食としての郷土食の継承――など広範囲にまたがります。いずれも深刻な課題です。  国民栄養調査によると、欠食率(朝食)は小学生で16%、中学生で20%、20代の男性は30%にも達します。30〜60代の3割が肥満で、15〜19歳の女性に聞くと、本当は「低体重」(やせすぎ)なのに、56%が「普通」と答え、18%が「太っている」と答えています。「普通」なのに、太っていると思いこむことは、過度のダイエットにもつながりかねません。  福岡女子大学の早渕仁美教授(栄養健康科学)は「健康的な日本型食生活」は(1)適量摂取(2)理想的な栄養バランス(3)主食のある多様な食パターン――とし、脂質とたんぱく質が多くなって栄養バランスが崩れたことが、肥満や疲労の蓄積などを招いていると指摘し、伝統食を重視すべきと強調しています。  九州農政局は「食育アイランド九州」をキャッチフレーズに、バランスのとれた食生活の広報、消費者と生産者の交流、学校への講師派遣などさまざまな取り組みを展開しています。教育現場や、生産、消費、環境など広範囲の団体は、もっと積極的に参加すべきだと思います。  さらに重要なことは、食と心の問題ではないでしょうか。規則正しい食事が好ましい生活習慣をはぐくみ、共に食卓を囲むことが家族のコミュニケーションを豊かにします。給食のメニューに伝統食が増えれば郷土への関心、誇り、愛情も生まれるでしょう。食は生命を維持するとともに、心を育て、地域社会の伝統と文化を継承する役割をも担っているのです。  地域コミュニティの崩壊が指摘されています。都市化・過疎化によって地域の連帯が薄れたことでさまざまな問題が起こっています。地域の人々がつながりを深め、助け合い、教え合い、学び合うことが、福祉、少年犯罪や自殺の防止にもつながるはずです。これからますます増える高齢者が楽しく豊かに生きるためにも、地域社会の絆(きずな)を強くしなければなりません。  食育は社会全体が取り組むべき課題であるとともに、われわれ一人ひとりが食生活を見直し、より健康で心豊かな食のあり方を実現しようという試みなのです。